ベイスターズを二軍中心に見守るブログ 本店

毎年20~30試合ほどベイスターズ二軍の試合に足を運ぶ我慢強い男のブログ。野球関連の問題提起や将来へ向けた改革提案等も

2003年のベイスターズが、僕にとっての原点だ

 

 僕がベイスターズのファンになったのは2002年で、その理由は「転勤先の名古屋から神奈川県に戻ってきてヒマになったから」という、実に軽薄なものに過ぎませんでした。

 

 子供の頃はパ・リーグ西武ライオンズが好きだったけど、ロッテが千葉に行ってしまったので地元の川崎ではプロ野球を見られません。だからその次に近い球場である横浜スタジアムに白羽の矢が立ったという、ただそれだけの事です。

 

 ただし、まだ心の片隅にパ・リーグ好きの地下茎みたいなものが残っていたので、だいたい半分くらいは東京ドームか西武ドームか千葉マリンまで行ってパ・リーグの試合を見ていました。

 

 これで本当にベイスターズファンなのか、自分自身ですら確証が持てなかった、それがファンになって最初の年の僕の立ち位置でした。

 

 

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 その中途半端だった僕を一変させたのが、2003年、就任したばかりの山下大輔監督、および「大ちゃんス打線」を擁する、ニューベイスターズでありました。

 

 

 まず、ルーキーの村田修一選手がいきなり初年度から25ホーマーをかっ飛ばし、「Tウッズ」と電光掲示板に表示される事でお馴染みのタイロン・ウッズ選手は村田選手を上回る40ホーマーで本塁打王を獲得。開幕前には4番候補最有力とも言われた古木克明選手も22ホーマー、後に第一回WBC日本代表でクリーンナップを張ることとなる多村仁志選手も18ホーマーと、とにかくロマンしか無い、どこからどう見ても魅力しか見えない、それが2003年のベイスターズでありました。

 

  シーズンで94敗もした事を除けば、本当に横浜スタジアムに足を運ぶのが楽しくて仕方ない、そんな日々だったと思い起こされます。

 

 

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出典 2002年度新人選手選択会議 (日本プロ野球) - Wikipedia

 

 2003年にデビューを迎えたルーキーは上記の通りで、非常に多士済々でありました。

 

 村田選手は先述した通りの活躍を見せ、4位の加藤選手は僕と同い年で、なおかつ僕の実家から徒歩5分の場所に練習場がある三菱ふそう川崎出身という非常に愛着のわく選手でしたし、5位の吉村選手や10位の武山選手は現在も現役でプレーを続け、11位の木村昇吾選手はプロ野球引退後にクリケットに転身したといってニュースにもなりました。

 

 

 6位の北川選手は皆さんにとってあまり馴染みがないかもしれませんが、ベイスターズ愛を深め、ついにファームにまで足を運ぶようになった僕が真っ先に目にした横須賀の安打製造機です。

 1軍定着ならずに戦力外になったのはただただ不運だったという他ない素晴らしい選手でした。

 

 

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 2003年のベイスターズを語る上で欠かせないキーパーソンが3人いると僕は考えていて、1人は前年(2002年)に11勝を挙げて2003年の開幕投手に選ばれた吉見祐治選手。次は、やはり前年の2002年終盤に1軍で突如大ブレイクして一躍脚光を浴びた古木選手。

 

 そして最後は、この前の日曜日にBCリーグの栃木で現役生活に別れを告げた村田修一選手です。

 

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 この名前を挙げた3人を含めた当時のベイスターズの1軍定着していた選手の中で最後までプロ野球の第一線で活躍し続けたのは、他でもない村田選手その人です。

 

 村田選手はベイスターズからFAで出ていった選手だからベイスターズファンの中で彼を好ましく思わない人が少なくないのも存じ上げていますけれども、そうは言っても、辛いことのほうが多かった時代のベイスターズで中心選手であり続けた事には感謝をしていますし、僕が特別な感情を持つ数少ないプロ野球選手の1人でもあり続けました。

 

 僕は去年までは毎年のようにBCリーグの試合を見に行っていた人間ですから最後の舞台がBCリーグとなった事が悪いとは全く思っておらず、むしろ、BCリーグを最後の場としてくれた事に感謝の念すら持っている位ですが、ただ、それにしたって、まだ充分NPBの主軸として活躍できるだけの能力があった筈なのにという、無念としか言葉が出てこない、もどかしい、やりきれない思いが頭を埋め尽くしています。

 

 

 そして、恐らく一番やりきれない思いを抱えているであろう村田選手本人が非常に立派な態度で最後の日を迎えたのが、誇らしいとも感じました。

 

 

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 自分自身今年一年何をやってもうまくいかず、それどころか思いもよらないような散々な目に遭って気持ちが腐りそうになった事が一度や二度では済まされないのですけれども、それで、BCリーグで立派にやっている村田選手の姿が、僕にとって大きな励みになりましたよ。

 

 ですから、村田選手が引退してしまう事で何か大きな時代の一区切りがついたというか、楽しかったあの日々が完全に終わりを告げたと宣告されたというか、そういう寂しさを禁じ得ないのですけれども、とにもかくにも、村田選手に、楽しかった日々を与えてくれてありがとうございましたと、お礼を言いたい、そんな近頃の僕であります。

 

 

 

以上