ベイスターズを二軍中心に見守るブログ 本店

毎年20~30試合ほどベイスターズ二軍の試合に足を運ぶ我慢強い男のブログ。野球関連の問題提起や将来へ向けた改革提案等も

今シーズン限りでの戦力外通告を受けたベイスターズ関係選手の中で、書かずにいられない選手についてボチボチと  (2)

 

 前回に続き、今シーズン限りで戦力外通告を受けたベイスターズ関係の選手について、思う所のある選手について、ぼちぼち書き続けていこうと思います。

 

 

■飛雄馬選手

 

hochi.news

 

 チーム一の元気者として9年間プレーした飛雄馬選手が戦力外通告を受け、一時は現役続行を目指してトライアウトにも挑戦したものの、獲得に名乗りを上げる球団が現れなかった事から、現役を退く運びとなりました。

 

 

 飛雄馬選手とは一体どんな選手だったのか、一軍を中心に見ている普通のファンの方々にはなかなか掴みづらい所があったかもしれません。

 

 僕の感想としては、「宮﨑敏郎に成り損なった男」という感じかな、と考えています。

 

 バッティング、それもミート力こそが彼のストロングポイントだったわけですが、宮崎選手のように一直線にミート力向上&アピールを貫けず、どっちつかずになってしまったようなプロ生活でありました。

 

 

 プロ入りの際の守備位置がショートだった選手というのは、大体の場合はまず守備力の向上が求められます。

 今季限りで戦力外になった百瀬選手や、2016年のオフに戦力外になった渡邊雄貴選手、今オフにFAで巨人行きを決断した梶谷選手もそうでしたが、まずは守備力を徹底的に鍛え上げられ、日に日に上達していくのが伺えるのですが、その反面バッティングの成長には少し時間がかかる傾向にあるように思われます。

 

 飛雄馬選手も同様で、まずはショートから入ってきましたので、まずは守備の強化に主眼が置かれていたような雰囲気を感じました。

 飛雄馬選手は宮崎選手と比べて守備の面では多少器用な所があって、ショート以外にサードもセカンドもファーストもそれなりにこなし、時には緊急時用といってキャッチャーの練習に取り組んだ事もありました。

 

 それはそれで決して悪い事ではありませんが、プロ入り後の2年間守備力向上に取り組んだから、次はバッティング向上の為にプラス2年待ってくれという猶予はプロにはなかなか認められないもので、そこで宮崎選手との大きな差がついてしまったのだと思います。

 

 2015年は宮崎選手が一軍で163打席のチャンスを貰い、飛雄馬選手も同年に135打席のチャンスを貰っていたわけでして、この時に緊急用キャッチャーの練習などとよそ見をせず、徹底的なバッティング練習を、それももう1ランク上に取り組みをしていれば宮崎選手に比肩するような成績を残せたかもしれない、というタラレバが今更になって思い浮かばれるのであります。

 

 

 結果的にプロ最終年となった今年の飛雄馬選手は、もしかしたらプロ入り以来最高にバッティングのデキが良かった年だったのでは?と、何度か球場で見ていて思ったものでした。

 

 それこそ宮崎選手が測ったように野手の間を抜けるヒットを量産するように、飛雄馬選手も実に器用に野手の間を鋭く抜けるヒットを量産していたのです。

 だからイースタンでも打率.356の成績を残せたわけですが、非常に間合いが悪く1軍の野手陣は内野も外野もビッシリ埋まってつけいるすきが全く無く、せっかくの好調ぶりを一軍の首脳陣やファンに披露する事も叶いませんでした。 

 

 

 一軍で結果を残せない選手は容赦なくビシビシ切るDeNAベイスターズにしては珍しく9年もチームに残れたのは、それはひとえに成績以外の面での貢献を首脳陣に高く評価されていたからに他なりません。

 

 チームのジュニアコーチとして、将来のベイスターズのヒーローを育ててくれるようお祈り申し上げます。

 

 本当にお疲れさまでした。

 

 

 

■熊原健人選手

 

www.nikkansports.com

 

 昨年の開幕直前に楽天に移籍した熊原健人選手が今季限りで戦力外通告を受け、引退を決意しました。

 

 

 今オフ戦力外通告を受けたベイスターズ関係の選手の中で最も悔いが残ると僕が考えているのが、この熊原選手です。

 

 

 熊原選手はルーキーだった2016年に故障で開幕こそ出遅れたものの、5月に一軍に上がってくるやいなや、いきなりリリーフで10試合連続無失点と大物ぶりを発揮しました。

 

 そこで当時の首脳陣が「これをリリーフで使うのは勿体ない」と言っていきなり先発転向を言い渡したのが運の尽きで、ここからリズムを崩し、遂には自分のピッチングフォームすらわからなくなって極度の制球難に陥り、2019年春にはフォーム改造で七転八倒の末のトレード、そしてこの度の戦力外へと至ったのであります。

 

 

 そもそも先発とリリーフでは、同じピッチャーでありながら、しかし全く違うポジションであると言い切っても良いくらい別物なのであります。

 

 山崎康晃選手がルーキー時代の春のオープン戦に先発として全く結果を残せず、当時の中畑監督の決断で抑えに転向させて大活躍を果たしたのは記憶に新しい所です。

 他にも、今季限りで引退された阪神藤川球児さんやベイスターズのレジェンド佐々木主浩さんなど、先発で結果を残せずリリーフで大ブレイクした事例は枚挙にいとまがないわけでありまして、その大きなポジションチェンジを、あろうことかルーキーのシーズン途中、それも最後のリリーフ登板から1ヶ月後に実行するだなんて、あまりにも無茶が過ぎたのです。

 

 

 選手は首脳陣の決めた事に従わなければなりませんし、その采配の先で満足な結果を残せなければ、いずれユニフォームを脱がされる運命に行き着きます。

 

 だから結果を残せなかった熊原選手が悪かったのだという風な結論の付け方をするのが一般的なのでしょうが、さはさりながら、選手の適性や性格をじっくりと見て、その選手の才能が最も大きく発揮されるように采配を振るうのが首脳陣の役割なのであって、あの2016年の、ともすればちょっとした、人によっては「本人の為にもなる」というような采配で運命がガラリと変わってしまったという、あまりにも悔いが残ると僕は思うのであります。

 

 

 優秀な選手がほんのちょっとした出来事をキッカケに、それまでとは別人のようになってしまうというのは、結構ある事だと思います。

 

 その「結構ある事」という風に簡単に片付けているようでは今後も同じような悔いが無反省に積み上げていくだけですので、この熊原選手の事例をしっかり学んで、次に生かしてもらいたいと切に願う所であります。

 

 

 熊原選手、本当にお疲れさまでした。

 

 

 

 

続く