ベイスターズを二軍中心に見守るブログ 本店

毎年20~30試合ほどベイスターズ二軍の試合に足を運ぶ我慢強い男のブログ。野球関連の問題提起や将来へ向けた改革提案等も

今シーズン限りでの戦力外通告を受けたベイスターズ関係選手の中で、書かずにいられない選手についてボチボチと  (1)

 

 

 今年はコロナ禍の影響で戦力外通告の時期が変わったりバタついたりしていますが、それもようやく落ち着き、戦力外通告を受けた当事者の今後の身の振り方に関する報道なども流れてくるようになりました。

 

 

 ここで、まずは本題に入る前に、全ての選手の皆様に対し、尊敬の念をお伝えしたいと思います。

 

 子供の頃に野球をやっていた人の多くは、大なり小なりプロ野球選手への憧れを持った時期があるんじゃないかと思います。

 

 僕もそのうちの1人ですが、そういった気持ちがあると、我々凡人とプロ野球選手とがどれくらいかけ離れた、ずば抜けた存在であるかが身にしみてわかるわけでして、だからこそ、選手生活がいかなるものであったにせよ、「プロ野球選手」という肩書を手に入れた皆様方に対し、尊敬の念を抱かずにはいられないのです。

 

 次もNPBのチームに所属して選手生活を続けられる人も全く違う道を選択する人もおられますが、一度プロ野球選手という肩書を手に入れたという勲章を胸に抱き、誇り高い人生をこれからも送ってほしいと、切に願っております。

 

 

 

               ■

 

 

 

 今シーズン限りで戦力外通告を受けたベイスターズ関係の選手について、思う所のある選手について、ぼちぼち書き続けていこうと思います。

 

 

 

■黒羽根利規選手

 

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 2017年に日本ハムに移籍した黒羽根選手が戦力外通告を受け、引退する事になりました。

 

 

 黒羽根選手は高卒でベイスターズに入団した当初から首脳陣の期待が高く、ファームの試合では彼がトッププロスペクト的な扱いで優先的に起用されていた時期が長かったと記憶しています。

 彼の入団2年目くらいの頃は一軍のキャッチャー陣に相川選手と鶴岡選手の盤石のツートップがいて、二軍にも新沼選手、武山選手、斉藤俊雄選手という錚々たる顔ぶれが揃っていました。

 この5人の先輩キャッチャー達は2020年現在全員がNPB球団でバッテリーコーチを務めていて、要するにそれだけ識見の高い先輩の壁がありながらもなお、首脳陣は彼に目をかけてファームのスタメンで積極的に起用されてきたという所に、期待の高さが伺えるのではないでしょうか。

 

 しかしながら、彼が首脳陣の期待に応えて自らの実力で1軍定着を果たしたかというと、なかなかそのようにはいきませんでした。

 

 先輩でレギュラーキャッチャーの相川選手がFAで移籍し、やはり先輩の鶴岡選手や武山選手や斉藤俊雄選手がトレードや人的補償で相次いでチームを離れた事から繰り上がるように地位が上がって、それに連れて一軍での出場機会を増やしていったと表現した方が正しいかもしれません。

 

 そうやって、いわば与えられるようにして出場機会を増やしていった黒羽根選手でしたが、結局レギュラーとして年間100試合以上マスクをかぶれたのは2014年の1回だけで、毎年数十試合程度とチャンスをたくさん与えられながらも、結局レギュラーに返り咲くこと無く、とうとう2016年には一度も一軍に呼ばれず、翌2017年のシーズン途中に日本ハムに移っていきました。

 

 

 黒羽根選手は身体能力が非常に高く、キャッチャーとして肩が強いのはもちろん、バッティングでも非常に強い打球を打てる選手でありましたが、傍から見ていて感じたのは気分の浮き沈みが激しく、それが特にバッティングに悪い影響を及ぼしているのだろうと僕は考えていました。

 

 守備の実力の高さは誰しもが認めるものの、バッティングで大スランプが何度もあって打率2割も残せないようではレギュラーを取るのは難しかったのです。

 

 

 課題がそこに見えているのに克服できない、実にもどかしい選手でありました。

 

 2016年に全く一軍に呼ばれなくなって、翌年も同じような状況でトレードが決まった時は、いつもならトレードされる時に感じるはずの寂しさが全くなく、むしろ「働ける場所が見つかって良かった」と、胸を撫で下ろすような気持ちになったのを、今でも昨日の事のように感じています。

 

 2016年2017年の全く一軍に上がれない暗闇のような状態で現役を退くのではなく、日本ハムで再チャレンジする機会を重ねた上でのこの度の戦力外通告は、必ずしも充分とは言えないものの、なかなか良い終わり方が出来たのではないか、という気がしています。

 

 

 かつて同じ釜の飯を食った先輩キャッチャー達のようにNPBのコーチとして再び帰って来られるように、BCリーグ栃木の皆様たちと切磋琢磨して、もう一回り立派になってくれればと思います。

 

 

 お疲れさまでした。

 

 

 

 ■百瀬大騎選手

 

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 百瀬選手は高卒ルーキーの頃から特殊な能力を持っていました。初年度のイースタンの記録が打率.154なのに、出塁率は.325もあったのです。

 つまり彼は高卒1年目の時からヒットで出塁するより四死球で出塁する方が多いという、相当な選球眼の持ち主であったのです。

 

 しかしこのなかなか稀有な才能も首脳陣のウケがあまり宜しくなかったようで、2年目以降は、そこそこ選ぶものの、以前なら振らなかったボール球に手を出すようになり、2年目に打率こそ.198と微増させるものの、肝心の出塁率が.256と大幅ダウン、3年目も打率.154で出塁率.258、4年目以降もこの数字はほとんど代わり映えがしないまま、いよいよ戦力外通告に至ってしまいました。

 

 2019年には念願の1軍昇格と初出場を果たし、2020年の今年も数試合途中出場する機会を与えられましたが、首脳陣の目を引くような結果を残すには至りませんでした。

 

 彼は足が速くて肩も非常に強く、あとは打力さえついてくればと、6年間ずっと思い続けてきました。

 彼の体つきを見れば他の選手に負けないだけの厳しい練習を積み重ねてきただろう事は想像できました。

 

 2019年と今年の1軍昇格も、どちらかというと1軍昇格に見合う実力がついてきたから昇格させたというよりは、日々死物狂いで頑張っているのを首脳陣が評価して、いわばご褒美のような形での昇格だったのでは?と、僕は感じています。

 

 

 なぜ彼の打力は伸びなかったのか。練習の仕方が悪かったのか。考え方が悪かったのか。コーチの指導法が思わしくなかったのか。ラミレス監督のスタイルに合わせようと積極的に振りに行く方向転換が最後まで噛み合わなかったのか。

 

 近年は選手の見切りが異様に早いベイスターズが珍しく6年も辛抱して見守り続けた百瀬選手の陰の努力に思いを寄せながら、出来ればクリケットに挑戦して木村昇吾さんと山本武白志さんと一緒に頑張ってほしい、などと思ったりもする今日このごろなのでありました。

 

 

 お疲れ様でした。

 

 

 

 

続く