盛田さんありがとう
ベイスターズやバファローズでご活躍された盛田幸妃さんがお亡くなりになったと聞き、暫くの間言葉を失っていました。
脳腫瘍乗り越えた「奇跡のリリーバー」盛田幸妃氏死去
http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20151016-OHT1T50133.html
バファローズ時代の脳腫瘍でリタイヤされた時には、どうしても津田恒美さんの事が頭をよぎって仕方がありませんでした。津田さんが亡くなられたのは僕が子供の頃でしたが、子供の頃だからこそかえって強い衝撃を受けまして、そしてあの時のように死んでしまうのではと心配になりました。だから選手として球場に帰ってこられた事が本当に喜ばしかったものでした。
盛田さんは引退後に脳腫瘍を再発されて、手術後も健康面で相当苦労されたと聞きます。テレビのドキュメンタリーで、あまり長くは生きられないと語っていたのを見た覚えもあります。
ですが、横浜スタジアムでお見かけする盛田さんは、とても健康面で苦労されているとは思えない、同性の僕から見ても惚れてしまうような、本当にかっこいい男でした。
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こんな事を書いている僕自身も、7年ほど前に命に関わる病気が見つかりまして、今でもお付き合いしています。幸い早期発見でしたので死なずに済みましたが、今の医療技術では治る見込みはありませんし、将来の人生の中で当たり前のように思い描いていたものの幾つかを諦めざるを得なくなりました。結婚の話をしていた彼女とも自分の方から別れてもらったりしましたし、色々破れかぶれになりました。
そんな時に横浜スタジアムでお見かけした盛田さんは、本当にかっこよく見えたものでした。そして、自分のちっぽけさを思い知りました。
自分は病気をしたとはいっても一応五体満足で日常生活に事欠くような状況ではないのです。日々死の恐怖と戦っている盛田さんがあんなに凛々しく生きておられるのに、自分は一体何をしているのだ。という気持ちになりました。
現実に死の恐怖と直面するのは、とても恐ろしいものです。3年ほど前、病院でリンパ腫の疑いがあると言われて一ヶ月がかりで実に様々な検査を受け続けた事がありましたが、その時は本当に安楽死の方法を考えたものです。
リンパ腫とはどういう病気なのか、狂ったようにネット検索し続けました。それでどうやら生きていくのは難しそうだと思い、リンパ腫が確定すると僕にかけられている生命保険から1000万円の保険金が降りるから、そのお金でスイスへ安楽死ツーリズムをしようと、かなり具体的な事を考えたほどです。
幸いリンパ腫でないことがハッキリして再び九死に一生を得たような気分になりましたが、たかだか1ヶ月とはいえ、死の恐怖と対峙するのがどんな辛いものか思い知りました。盛田さんはそれと最後の最後まで際限なく戦い続けてこられたのですから、本当にかっこいい男だと思います。
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よく「励みになる」という言葉を聞きます。頑張っている人を見て、「よし自分も頑張ろう!」と奮い立つという話です。
僕は昔はそういう話を安っぽいと考えていた事もありましたが、実際の所、盛田さんの日々の頑張りは僕にとって励み以上のものをもたらしてくれました。
お医者さんから長くは生きられないと聞いて、それでもあんなにかっこよく生きておられるのです。特にそういう話のない僕がウジウジ言って良いはずがありません。許されません。
いろんな事が思い出されます。
盛田さんが引退された翌年のオープン戦の、初めてのラジオ解説の仕事を終えたばかりの所で、あの落合博満さんから直接電話がかかってきたそうです。なんでも、落合さんはそのラジオ中継の一部始終を聞いていて、そしてダメ出しをされたのだそうです。もっとハッキリとした物言いをしなければダメだという趣旨のダメ出しだったそうです。
盛田さんの解説が辛口だったのも、そういういきさつがあったからなのですね。
盛田さんと落合さんは、現役時代には名勝負を何度も繰り広げてきた間柄です。落合さんはその盛田さんの引退後を心配して、わざわざ初仕事のラジオ中継をしっかり聞いていたというのですから、本当に涙ぐましいエピソードです。盛田さんが球団の垣根を超えて周りから愛されている事を示すものでもあったと思います。
もちろん現役時代も色々拝見していますが、引退後の方が印象深いプロ野球選手というのも、他に記憶にありません。それくらい盛田さんは色々なものを残してくれました。
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僕自身が健康に難を抱えているからという、ごくごく私的な理由で勝手にシンパシーを感じていたに過ぎませんけれども、だからこそ盛田さんにはお医者さんの予想を覆す位の長生きをして欲しかったという無念さがあります。
とにかく、盛田さんにはありがとうございましたとお礼の言葉を申し上げる位しか、今の僕には出来ません。
以上