ベイスターズを二軍中心に見守るブログ 本店

毎年20~30試合ほどベイスターズ二軍の試合に足を運ぶ我慢強い男のブログ。野球関連の問題提起や将来へ向けた改革提案等も

若くして引退していく選手を見ていると、ああでもないこうでもないと考えてしまう

 

 オリックスを戦力外になった大田阿斗里選手が引退して警視庁の試験を受けていたというニュースを見まして、色々と思う所があります。

 

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 若くして引退していく選手の多くは、本当はプロ野球選手を続けたいが、戦力外になってしまって働く場所が得られないから、不本意ながらユニフォームを脱ぐ決断をするというパターンではないでしょうか。

 阿斗里選手もオリックスを戦力外になった後にトライアウトに参加していますので、本音としては野球を続けたかったのではないでしょうか。

 

 しかしながら、奥様もお子さんもいる中で、不安定な立場でいる事は許されないという責任感もあって、警視庁の門を叩いたという流れではないかと想像できます。

 

 

 プロ野球は実力社会だから、雇ってもらえないのならば仕方がありません。そんな事は百も承知ですが、それでもなお、なんとかならなかっただろうかと、悔しい気持ちが、僕にはあります。

 

 阿斗里選手は通算9年のプロ生活で69試合に登板していますから、実力が足らずに箸にも棒にもかからなかったという選手ではありませんでした。

 高卒1年目から1軍デビューしていますし、2013年には1年で38試合も登板していますから、それなりに実力のある選手であった事に違いはありません。だからこそ、27歳という若さでユニフォームを脱がざるを得なくなった事が、悔しくてならないのです。

 

 ベイスターズファンの立場でこのような事を申し上げるのはいささか心苦しいですが、入ったチームがもう少ししっかりしていたならば、戦力外の当落線上をウロウロするようなプロ生活にはならなかったのではと、まるで自分や親族の事のように、あれこれと考えてしまうのです。

 

 きっとね、入ったチームいかんで山口俊選手と肩を並べられる位の存在になっていたのではないかと、今更ながら僕は思っています。

 

 それも含めての自己責任ですから、なんでもかんでもチームに当たり散らすわけにもいきませんけれども、チームだってしっかり育てて戦力になってもらった方が良いに決まっているのですから、「毎年のことだから」と気安く流さずに、1人1人の行く末をしっかりと見届けて、今後のチーム運営の糧にしてくれなければ困ると、僕は思いますよ。

 

 

 阿斗里選手がプロ野球界から離れてしまうのは悔しくて仕方がありません。湘南シーレックスの時から、本当に将来が楽しみな、ファンに夢を見せてくれる素晴らしい選手でした。

 9年間のプロ生活を誇りに持ち、必ずや第二の人生を良きものにして欲しいと思います。

 

                ■

 

 

 昨年限りでベイスターズを戦力外になった渡邊雄貴選手が昨秋のうちに引退を表明していたと、最近ようやく知りました。フェイスブックで表明していたようで、僕はフェイスブックをほとんど活用していなかったので、それで知るのが遅れました。

 ツイッターのアカウントを削除していましたからなんとなく想像はしていましたが、ハッキリと真相がわかった今、非常に悔しい思いがこみ上げています。

 

 皆様もよく覚えておられると思いますが、ちょうど一年前の渡邊雄貴選手はフェニックスリーグの活躍が評判を呼び、一躍若手のホープと目される存在になっていました。

 それがたった1年で戦力外になって引退を表明することになるとは、本当に呆気ないものです。

 

 2016年春の練習試合やオープン戦ではかなり長い期間1軍に帯同させてもらって出場機会もまずまず与えられていた方でしたが、その様子を見ながら、僕はとても嫌な予感がしたのを覚えています。

 守備や走塁については特に可もなく不可もなくでしたが、バッティングは目先の結果を求めて当てに行くようになり、完全に自分を見失っているように思われました。

 

 それは2軍に降格してからも尾を引きずり続け、やがてファームの公式戦でも青柳選手やロマック選手に出場機会を奪われてアピールする機会をなかなか持てないまま、ズルズルと夏まで進んでしまいました。

 

 あくまで離れた外から見ていた印象に過ぎませんが、相当焦っていたんだと思います。

 1年目から3年目くらいまでは出場機会をふんだんに貰っていたので一度失敗しても取り返しがつくという心の余裕があったのが、2016年は控えで、試合途中からせいぜい1打席貰えるかどうかという立場に追いやられて、取り返す機会が無いから目先の結果を焦る、悪循環に陥ったのではないかと思います。

 

 

 同期入団の桑原将志選手は今でこそ1軍のレギュラー選手としてかけがえのない立場に成長しましたが、入団1年目の頃は渡邊雄貴選手のほうが打率が良く、ショートという難しいポジションで悪戦苦闘しながらも将来性を感じさせてくれたのです。 

 それが今、こうしてハッキリと明暗を分けてしまった理由はなんだかったと言えば、自分に対する厳しさ、精神力、そんな所だったと思います。

 

 渡邊雄貴選手のほうが身体能力がずば抜けていましたけれども、ウサギとカメになってしまいました。

 もちろん渡邊雄貴選手が努力していなかったわけではありません。1年目はまだ高校を出たばかりらしいほっそりとした身体つきだったのが、一冬越して身体が一回り大きくなってガッシリとしたプロ野球選手らしい身体つきに生まれ変わったのを見た時は、彼の本気を感じ、嬉しく思ったものです。

 フェニックスリーグの時の喫煙問題で中畑監督をはじめ首脳陣にきつく叱られて、それでようやく気持ちを入れ替えたのだと、改めて将来を楽しみに感じたのを、昨日のことのように覚えています。

 

 

 2016年は悔しいことばかりだったと思いますが、ただ、夏場くらいから何かを掴んだように僕には見えました。

 7月の横須賀スタジアムの試合で放ったホームランも無駄な力の抜けた見事なものでしたし、イースタン終戦の西武第二の試合でもホームランを打ったと聞いています。長い長いスランプを脱し、ようやく何かを掴みかけたように、僕には見えました。

 

 

 渡邊雄貴選手は引退を表明しました。

 

 が、彼の人生はまだまだ長いわけですし、長い人生の中で考えが変わることも少なからずあるだろうと思います。

 

 折しも、同期入団の古村選手が一度引退して打撃投手をやっていたのが、現役復帰して四国アイランドリーグでプレーするようになりました。

 渡邊雄貴選手の年代は育成選手と飛雄馬選手以外は全員高卒入団ですから同い年が多いわけですが、そのうちドラ一の北方悠誠選手も古村選手と同じく四国アイランドリーグで、伊藤拓郎選手はBCリーグの群馬でプレーを続けています。トラヴィス選手も自主トレを続けているようなので、今年もどこかでプレーを続けるのでしょう。

 

 だからというわけではありませんが、一度表明してしまった引退の二文字を、今から引っ込めてどこかしらでプレーを続けても、僕は全く問題なく、素晴らしい決断だと、そう思います。

 

 単なる一ファンとして離れた場所から見ていたに過ぎませんが、僕には、まだまだ悔いややり残した気持ちがあるように思えてならないのです。

 

 一度環境を変えて、改めて自分を見つめ直せば、秘めたる実力を今度こそ発揮できるのではと、僕はそう思っています。

 

 

 渡邊雄貴選手は右の梶谷隆幸であります。しかも梶谷選手と違って故障が少なく、そしてまだ若いのです。

 だからこそ、気持ちを入れ替えて本気で野球に取り組みさえすれば、どんな球団からも欲しがられる5ツールプレイヤーになれると、僕は今でも思っています。

 

 若いというのは素晴らしいものでね、まだまだ何度でも失敗が出来るのです。成功は失敗のもっとずっと先にしか無いものだから、若さを活かして、もっと貪欲に、北方選手や伊藤選手や古村選手の後を追いかけてもらえないだろうかと、僕は思っています。

 

 

 とにかくこのままユニフォームを脱がせるのは惜しい、惜し過ぎる、それが渡邊雄貴選手だと、僕は強調しておきたいと思います。

 

 

                 ■

 

  

 プロ野球の世界には毎年のように百人を越す新しい選手が入ってきて、そして百人を越す選手がこの世界を後にしていきます。

 

 だから毎年僕は、後にする選手1人1人を思いながら、まだやれたのではないだろうか、とか、チームの育成方針が間違えていたのではないだろうかと、あれこれ考えてしまいます。

 百人を越す選手の中にも少なくない人が、僕と似た考えを持って、黒い雲のようなものを脳裏に浮かべているのではないかと思います。

 

 仕方がないと言ってしまえばそれまでですが、果たしてそれで良いのか。

 

 僕はこれからもこの気持ちを忘れないようにしたいと、そのように考えています。

 

 

以上