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ベイスターズを二軍中心に見守るブログ 本店

毎年20~30試合ほどベイスターズ二軍の試合に足を運ぶ我慢強い男のブログ。野球関連の問題提起や将来へ向けた改革提案等も

僕はプロ野球選手を雲の上の人だと考えている

 明日10月1日はNPB12球団の戦力外通告解禁日です。戦力外通告、つまりは解雇に相当する通達を受けた選手がその後の進路をスムーズに決めるため、なるべく早く通達して欲しいというプロ野球労組側の要求に基づいた取り決めです。

 流れとしては、明日からレギュラーシーズン終了の翌日までが第一次通達期間。セパのクライマックスシリーズ全日程が終了した翌日から日本シリーズ終了の翌日まで(日本シリーズ進出チームは終了5日後まで)が第二次通達期間となっています。ただし2011年だけは東日本大震災の影響で日程が1週間後ろ倒しになっています。

 過去の第一次発表は、僕の記録によれば以下のようになっています。

2014年 10/1 中日、オリックス、ヤクルト、巨人、阪神 10/2 西武 10/3 広島、楽天、日ハム、横浜 10/5 ソフトバンク、ロッテ

2013年 10/1 ヤクルト、巨人、日ハム、広島、オリックス阪神 10/2 西武、中日 10/3 ロッテ、横浜 10/4 楽天 10/7 ヤクルト、ソフトバンクオリックス

2012年 10/2 ヤクルト、中日、日ハム、西武、巨人、阪神、横浜、楽天 10/3 広島、ヤクルト 10/4 オリックス 10/7 ソフトバンク、ロッテ

2011年 10/9 阪神楽天、ロッテ、オリックス、横浜、西武、ヤクルト、ソフトバンク、巨人 10/13 広島 10/19 日ハム 10/23 中日 

2010年 10/1 楽天、日ハム、西武、横浜、阪神ソフトバンク 10/2 ロッテ、オリックス、巨人 10/3 ヤクルト、広島 11/1 中日

 なにかグラフでも作れば見やすくできるのですが、時間節約モードにしました。見えづらくてすみません。これが過去5年間の各球団が戦力外通告を公式発表した日付です。僕が当時メモに取った日ですのでもしかしたら間違えている部分もあるかもしれません。また、一部球団名が重複している年がありますが、これは一次通達を2度に分けたチームがあったため、両方共記録したものです。

 過去の傾向によると、TBS時代のベイスターズは解禁日にすぐに発表するのが恒例でしたが、DeNAになってからは2日目や3日目に発表するようになっていますので、しんどい気持ちを2日3日と我慢し続けなければなりません。

 いつ発表があるのかわからずに過ごすのは精神的にも辛いので、せめて見通しを知って少しでも心を落ち着けたいと思います。

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 僕が子供の頃は、月並みにプロ野球選手に憧れる普通の子供でした。KKフィーバーの折にはPL学園行きを表明する位の子供らしい己知らずっぷりでしたが、小学生も終盤になるとさすがに僕ではプロ野球選手にはなれそうもないと悟りました。

 その同じ頃、所属していた地元少年野球チームの1歳先輩で、それはそれは天才的な選手がいました。その天才的な選手はH先輩といい、僕のチームはH先輩のおかげで川崎市の少年野球チームでナンバーワンを決める川崎球場の大会に出場を果たしました。そこでは優勝は出来なかったものの幾つか勝利を上げ、H先輩の名を川崎中に轟かせました。

 ピッチャーをやっても一流。バッターとしても一流。足の速さも一流。これが同じ人間かと疑問に思うほどの、とにかく何もかも超越した存在でした。紅白戦で対戦したことが有りますが、もちろん全部振り遅れて三振です。対戦などと呼べる代物ですらありませんでした。

 H先輩は、中学進学前にはいくつかの私立中学からスカウトがやってきて入学の要請を受けたもののそれを断って地元の公立中学へ進み、野球部には入らずに世田谷のシニアのチームに入部されました。1年遅れで入学した僕は素直に野球部に入部しましたが、野球部顧問の先生はどうしてもH先輩に入部して欲しくてたまらず、僕ら同じ少年野球チームに所属した部員にその方法は無いかと何度も聞いてきたほどでした。H先輩のお父さんにも何度も直談判したそうで、たまにお付き合いで練習に参加してくれるだけでも顧問の先生は飛び上がって大喜びしていました。

 やがてH先輩は東京都の東東京地区にある有名私立高校へ進学されました。もちろん推薦です。ただし、高校在学中に肩を壊してしまってからはピッチャーを諦めてポジションはサードになりました。野手としても一流なので3年生の時にはキャプテンとして夏の甲子園にも出場されました。テレビの取材も受けていましたし、僕もそれをテレビで見てとても興奮しました。

 甲子園へは僕ももちろん応援に行きました。H先輩のお父さんはどうせすぐに負けるだろうと言っていましたが、初戦を勝って二回戦に駒を進めました。僕らも残って応援したかったですが、やむをえず帰宅しました。

 とにかくまばゆいばかりに輝いていたスーパースターのH先輩でしたが、結論から言えば大学まで進んで野球を続けたものの、ついぞプロ野球選手にはなれませんでした。

 僕は当然H先輩はプロに入ってバリバリ活躍できるに違いないと思っていましたから、全く信じられませんでした。

 それ以来、H先輩ですら願っても叶わなかったプロ野球選手とは、雲の上の人だと考えるようになりました。

 僕にとってはH先輩ですら全く遠く及ばない存在なのに、そのH先輩をも及ばない世界がプロ野球であると身を持って知ると、もうおいそれと選手に声をかけることもできなくなってしまいました。

 子供の頃は川崎球場西武球場で気軽に選手に話しかけていたのに、今では近寄ることすら恐れ多いと感じるようになりました。よくコアなファンの方が球場周辺で選手の出待ちや入り待ちをされていますが、僕は今でもそれを遠くから見ていることしか出来ません。

 去年までベイスターズファームで行われていたヒーローサインボールの抽選に当たった時も、目の前で選手本人にサインしてもらっているのに、僕はただ口をモゴモゴさせながらお辞儀をする事しか出来ませんでした。

 辻立ちしている国会議員に話しかける事も何とも無いのに、上場企業の株主総会で経営陣に向かって質問する事も何とも無いのに、相手がプロ野球選手となると、とたんに緊張してしまうというのが、僕のプロ野球選手に対する捉え方なのであります。

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 戦力外通告とは、プロ野球選手がプロ野球選手の座を追われる瞬間を意味します。

 中には運良く別のチームに入団できる場合もありますが、大多数はNPBのユニフォームに袖を通すことが出来ず、プロ野球選手ではなくなってしまいます。

 では、だからといって僕にとって雲上人では無くなるのかと言うと、そうではありません。一度プロ野球選手になるという宿願を果たしたからには、永遠に雲上人のままであり続けるのです。

 残念ながらベイスターズから戦力外通告を受けてユニフォームを脱いだ人の様子を見たくて、近くまで行ってみたことが有ります。さいたま市岩槻区にあるアーデルというバッティングセンターで働く河野元選手の様子を見ようと実際にアーデルまで行ってみたこともあります。

 ですが、やはり近づけませんでした。

 昨年は平塚球場で行われた古木克明さんと桑原義行さんのささやかなトークショーを見てきましたが、質問コーナーで手を上げることも出来ませんでした。

 やっぱり、引退した後になっても、プロ野球選手は雲の上の人だという事を感じたのです。

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 もしも僕のブログを見ているプロ野球選手や元プロ野球選手の方がいらっしゃったら、ぜひ伝えたい事があります。それは貴方が僕の憧れの人であるという事です。

 子供の頃から野球漬けの日々を送ってきた選手の皆さんにとって、引退後の生活は試行錯誤の連続だと思います。何かもかもが初めてづくしで、時には自信を失ってしまう事もあるかもしれません。

 ですが、貴方はプロ野球選手という宿願を果たした、雲の上の人なのであります。ぜひとも自信を持って、胸を張って第二の人生を送っていただきたいです。

 そこにはプロ野球選手時代の実績など関係ありません。例え名球会入りしたような選手でも、例え育成選手契約のままユニフォームを脱ぐことになった選手であっても、元プロ野球選手である事に違いはありません。全ての元選手に自信を持って生きて頂きたいと僕は考えています。

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 2軍の公式戦日程も終盤になってくると、傍から見てもピリピリした雰囲気を漂わせている、いつもとは様子の違う選手がいることが窺えて、こちらもとても辛い気持ちになります。これまで見てきた選手が戦力外通告に怯えながらプレーしているのだとすれば、それがプロの宿命だとはいえ、やはり辛いものを感じるのが人情です。

 いまそういった位置にいる選手の皆さんにお声がけさせていただけるような立場ではありませんけれども、なんとか胸を張ってその日その日を精一杯生きてもらいたいものだと、願わずにはいられません。

以上