ベイスターズを二軍中心に見守るブログ 本店

毎年20~30試合ほどベイスターズ二軍の試合に足を運ぶ我慢強い男のブログ。野球関連の問題提起や将来へ向けた改革提案等も

広島におけるカープナショナリズムの高揚

 僕はだいたい毎年のように広島に出かけています。野球を見に行く為だったり自分のルーツを探りに行く為だったり理由は色々ありますが、カープの本拠地が広島市民球場だった頃から、だいたい毎年行っているのです。

 それで今年の夏も例によって広島へ行ってきたわけですが、広島駅界隈のカープ応援ムードが年々激化の一途を辿っているという風に感じています。

 今年は由宇でカープ2軍の試合を見るために広島に行きまして、デーゲームに間に合わせるために朝9時前にホテルを出て広島駅に辿り着いたのですが、なんとそんな時間からカープのレプユニに身を包んだカープファンがウジャウジャいるのに驚かされました。その日のマツダスタジアムの試合はナイターで行われますから、試合開始までまだ9時間もある筈です。いくらなんでも気がハヤリ過ぎだろうと僕は思うのです。

 ファンもファンなら、駅周辺の商店という商店もカープ一色です。

 数年前から駅ビルテナントの一部がマネキンにカープのユニフォームを着せているのを見てきましたが、今年は駅前の一番目立つショーウィンドウにこの写真のように鎮座させているのです。カープ全面押しです。こうなるともう、ファッションなのか何なのかさっぱりわかりません。

 たまたま手持ちの本をすべて読み終えたので駅近くのフタバ書店で新しく本を買ってみれば、ブックカバーはこの有り様です↓

 カープどころか野球とも関係のない本を買ったのに、です。

 フタバ書店の店員さんもほぼ全員カープのロゴが入ったサンバイザーのようなものをかぶって、あたかもカープ球団の球団職員であるかのようです。さらに、書店の売り場のかなりの部分が改装されてカープグッズ売り場になってしまいました。以前来た時は、カープグッズ売り場といってもほんの申し訳程度にちょこんと置かれていただけだったのに、今では本屋というよりカープグッズ販売店の色合いの方が強く感じます。そのうちヴィレッジヴァンガードの本売り場の割合みたいな事になってしまうのではと、気が気ではありません。

 広島の街がカープを軸にして一丸となって盛り上がるのは、それはそれで良いのかもしれませんけれども、最近のそれは少々行き過ぎの感があります。こうなるともはや、ナショナリズムの高揚といった感があります。最近の広島界隈は、ブレーキの壊れた機関車のような、とてつもないものを感じるのです。

 今年の3月にはこんな事もありました。

ビジターファンへのおもてなし

http://www.plus-blog.sportsnavi.com/suguru0220/article/94

 このブログの過去記事で恐縮ですが、マツダスタジアムの試合でベイスターズファンを締め出そうとする事件が起きたのです。これも結局はブレーキの壊れた機関車の弊害ではないでしょうか。俗っぽい言い方をすれば「調子に乗っている」状態で、この状態がグッズの下請け業者に対する圧力問題にも結びついたのではなかろうか、とも思うわけです。

 僕は今年の夏に名古屋大阪神戸(三宮)福岡の街をブラブラしてきました。どの街にもプロ野球チームが存在しておりますが、ここまで極端に応援一色のムードになっている街は他に見られません。熱狂的と言われる阪神の城下町にしてもここまで極端ではありませんし、最近は人気があると言われるベイスターズにしても、横浜も関内もここまで極端な事にはなっていません。

 ですから、広島駅界隈が奇異というか異様というか、ちょっとエキセントリックな匂いを感じてしまうのです。

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 僕の父方の祖父母は広島の人です。祖父は子供の頃に東京に出てきているので広島で過ごしたのは正味10年前後と戦時中の海軍時代くらいに過ぎないのですが、それでも広島に対する郷土愛というのは非常に根強いものがあって、祖父母や親戚から広島という街のアイデンティティみたいなものは、それはそれはよく教わってきたと自負しています。野球はカープ、相撲は安芸乃島というのが祖父の考えでした。

 広島人というのは他の地方都市に住まう人々とは少々違う趣があります。世界ではじめて原子爆弾を落とされた街としての広島ではなく、それこそ村上水軍の時代から連綿と、幾重にも重層的に折り重なる広島の血みたいなものが、ものすごく重苦しい郷土愛みたいなものとなって息づいているのであります。

 お上りさんばっかりの神奈川県とは、それは全く違うものです。横浜の人が言う「3日住めば浜っ子」みたいな軽いものではないのです。

 その重層的で重苦しい広島愛みたいなものがカープに投影されるのだとすれば、ナショナリズムのように先鋭化するのも必然という気もしないでもありませんが、しかし、傍から見ているとやはり異様と言わざるを得ません。

 ではどうすれば良いのかと言われても難しいですが、もう少しマイルドになれば良いのになと、そんな風に思っております。

以上