ベイスターズを二軍中心に見守るブログ 本店

毎年20~30試合ほどベイスターズ二軍の試合に足を運ぶ我慢強い男のブログ。野球関連の問題提起や将来へ向けた改革提案等も

オリンピックなど返上してしまえ

 僕は元々2020年の東京オリンピック招致に反対の考えを持っていました。

 理由は非常に単純で、費用対効果が乏しい、もしくはマイナスだからです。

 オリンピックを開催するための建物やインフラの整備費用に当初の予定で7000億程度、森元総理の予想によれば2兆円強がかかるとされていますが、それだけの国費を費やして、それに見合うだけの成果が得られないのが確実ですから、ですから止めるべきだと考えていたのです。

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 政府が公共事業で7000億から2兆円強のお金を使うことについては、それは用途によって賛成できる場合と反対する場合とがあって一概には言えませんが、我が国の諸々の課題を鑑みると、オリンピックよりも優先されるべき課題が山のように残されております。

 例えば介護難民や特養ホームの待機者を救うべく、特養ホームを全国規模で一気に広げる必要があります。現時点でウン十万人の待機者(※1)がおり、さらにあと10年もすれば人口が多い団塊世代が介護を必要とするような時代が訪れるのですから、とても切迫した、一刻の猶予も許されないと考えています。

※1 特養待機52万人、4年で10万人増 厚労省調査

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS25040_V20C14A3PP8000/

 ですから、オリンピックに数千億とか数兆円を費やすよりも、そのお金で特養ホームを大量に作るほうがよっぽど生きたお金の使い方と言えるのではないでしょうか。また、作ったハコモノの維持で莫大な税金を費やすよりも、介護関係で働く人々の待遇改善の為に助成したほうが、やはり生きたお金の使い方と言えるのではないでしょうか。

 むろん、課題は介護だけでは留まりません。いまだに都内で解消されずに居る待機児童問題もそうです。小中高校の教職員がすさまじいサービス残業で身も心もボロボロになっているという話もありますから、教職員の増員や待遇の改善も必要です。世界の大学ランキングで我が国の大学がどんどん落ちこぼれている現状を打破するための教育改革への投資も必要です。

 それにそもそも、オリンピックを開催したからといってそこまでの経済効果が期待できるでしょうか。

 外国からの観光客を運ぶための空路は、こと東京圏についてはそこまで大きな増便をするだけのキャパシティがありません。いわゆる「横田空域」の都合で東京都の上空の大部分を空路として使うことが出来ませんので、離発着できる量には限界があります。オリンピック期間中だけ横田空域を使えるようにするとか横田基地を軍民共用化をする等の提案も出ているようですが、よりテロへの警戒を強めなければならない時期ですから現実味がありません。

 外国からの観光客が宿泊するためのホテルのキャパも潤沢とはいえません。周辺地域に至っては、ジャニーズのコンサートを1発開くだけで全てが満室になって学術分野の研究学会が泣く泣く中止に追い込まれる位、キャパシティの脆弱さが指摘されています。しかしだからといって、日本の厳しい規制基準をクリアできるようなホテルをたった2週間の為だけに増やせる筈もありません。まさか韓国のF1大会の時のようにラブホテルに泊まっていただくような事も出来ません。

 空路も宿泊施設も逼迫するため、オリンピック開催期間中は通常の観光客の受け入れ余力が殆ど残っておらず、したがってオリンピックとは関係ない観光業や観光地はとばっちりを受けるのが確実です。ロンドンオリンピックの時がそうだったように、先進国でオリンピックが開催される時は通常の観光客が訪問を避ける流れができてしまうわけです。

 ですから、いくらオリンピックで世界から注目されるといっても、その他のマイナス分を含めればプラスマイナスゼロが関の山と見られるのです。

 たった2週間で経済効果の乏しい臨時のお祭りなどは他国でやってもらうべきではないでしょうか。

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 これまで中東ではオリンピックを開催したことが無いのだそうです。ですから僕は、2020年のオリンピック招致を共に争ったトルコのほうが開催地としてふさわしいのではと思います。中東のますますの発展と平和を推進するためにも、中東初のオリンピックが実現すれば、それは巡り巡って日本や世界各国にとっても大きなメリットと成り得ます。

 自国でオリンピックを開催するのは「子供の夢」などと、よくわからない事を言う人がいます。「夢」という言葉もいい加減なもので、論理的に説明がつかない己の願望を「夢」と称して声高に主張する手合も見受けられます。

 では、そんなに子供に生でオリンピックを見せたいのであれば、外国で開催される時に渡航費を国で助成すれば良いではないか、というのが僕の対案です。仮にトルコで実施するとして、100万人の子供に5万円づつを助成しても500億で済みますから、自国でやるよりも安上がりです。修学旅行のように一斉に行けば安く済むはずです。子供に海外を体験させて見聞を広められるメリットもあります。

 自国で開催したからといって、実際に生でオリンピックを見られる子供が100万人以上になるとは、会場のキャパシティを踏まえれば常識的に考えられませんので、予算措置として100万人という数字を挙げたわけですが、それが多少上振れしたとしても、それでもまだ自国開催するよりはるかに安上がりです。

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 という事を招致が決まる前まで考えていたのですが、周知の通り東京に決まってしまいました。

 決まってしまった以上は仕方ないと思う反面、いつぞやの青島幸男都知事が都市博をちゃぶ台返ししたように、返上してしまえばいい、という風にいまだに往生際悪く考えていたりもします。

 だいたい、我が国がオリンピック開催を返上するのは初めてではないのです。1940年、日中戦争を理由に返上した実績が既にあるではありませんか。折しも現在、安倍総理が焦って安保法制を実現しなければならないようなきな臭い海外情勢のまっただ中ですから、返上するに値する状況と言えるのではないでしょうか。

 招致への経緯も褒められたものではありませんでした。あるときは「東日本大震災の復興のため」と言ってみたり、またある時は「選手村から半径8キロ以内のコンパクト五輪」と言ってみたり、そしてまた安倍総理自ら「福島から200キロも離れているから安心だ」と言ってみたり。招致の為なら国民や被災地住民の自尊心などどうでも良いかのような姿勢が目立ちました。

 近親者に自民党の県議がいた経験上から言えば、オリンピックなどは結局はスポーツの祭典にかこつけた一部の人達の金儲けイベントに過ぎないわけです。

 建物やインフラの建設でそういった業種にばかり利益が流れ込み、放送利権とスポンサー収入でマスコミ周辺ばかり利益が流れ込み、そんな具合に一部の人達に、いつものように利益をもたらすための、実にいかがわしいイベント。それが東京オリンピックというのが実際の所だと思います。

 僕には65歳と63歳の親がいて、もうそろそろ介護を現実的なものとして捉えなければならないなぁと考えているのですけれども、考えれば考えるほど、夢も希望もあったものではないなと、行き着いてしまいます。

 あまり深く考えずにパーッとやって失敗した長野オリンピックのような過ちを、僕達日本人はまたも繰り返してしまうのでしょうか。全く悲しい話だと僕は思います。

以上