ベイスターズを二軍中心に見守るブログ 本店

毎年20~30試合ほどベイスターズ二軍の試合に足を運ぶ我慢強い男のブログ。野球関連の問題提起や将来へ向けた改革提案等も

思い出の二軍選手 ~高森勇気~

思い出の二軍選手 ~新沼慎二

http://www.plus-blog.sportsnavi.com/suguru0220/article/33

思い出の二軍選手 ~北川利之~

http://www.plus-blog.sportsnavi.com/suguru0220/article/25

 過去2回に渡って書いてきました二軍選手の思い出話ですが、新沼選手の事を書いた時から既に「次は高森選手だな」と考えていました。しかしながら、普通の二軍選手と比べて高森選手の引退後の暮らしぶりがあまりにも特殊過ぎていて、なおかつ新しい動きが色々とあり過ぎて、なかなか手を付けられずにいました。

 それが今日、このニュース記事がヤフーのトップページでピックアップされるほど話題となりましたので、いよいよその時が来たなと考えついた次第です。

24歳でプロ野球をクビになった男が見た真実

http://toyokeizai.net/articles/-/56741

 僕が横須賀スタジアムに足を運ぶようになってから10年以上が経ちましたが、これまでで最も横須賀スタジアムが楽しかった時期は、そこに高森選手の姿がありました。

 高森選手は当時の湘南シーレックスベイスターズ二軍)で随一の人気を誇る選手でした。ファンに対する茶目っ気や愛想の良さであるとか、モノマネに代表されるひょうきんなキャラクターであるとか、人気の理由を挙げればキリが無いのですが、やはり一番根源的な部分としてあるのが、彼の野球選手らしからぬ頭の良さにあるのではないかと思いました。

 その頭の良さを感じたのがヒーローインタビューでした。

 当時の湘南シーレックスでは、勝利した試合ではスタジアムDJの司会進行で1軍と同じようなヒーローインタビューが行われていたのですが、普通の選手が「最高です!」とか「ファンのために頑張りました!」のようなありきたりな言葉しか喋れないのに対し、高森選手のそれは時と場合に応じておちゃらける事もあれば真面目に状況を分析する事もあったりして、ひとり異質な存在であると感じさせるものがあったのです。

 また、その頭の良さはファンサービスのみならず、自身の練習にもふんだんに活かされました。スコアラーが撮影する映像を自身で確認するのはもちろん、練習や試合の情報を逐一自分のノートPCに保存をし、それをコーチに見せつつアドバイスを求めるような、そういう姿がありました。

 ただ、スタンドから高森選手のプレーを見ていて、その知的な練習スタイルが必ずしもプレーに反映されているとは言いがたいとも感じていました。

 高森選手はキャッチャーとしてベイスターズへ入団しましたが、2年目には早くも内野手に正式にコンバートされました。キャッチャーから野手にコンバートされるケースは中日の和田選手やガッツ小笠原選手のように成功例も少なくありませんが、だいたいどの選手も丁寧で確実性のある守備をひとつの持ち味とする傾向があるように思います。

 しかしながら、高森選手の守備力は、それらの野手転向の諸先輩方と比べるとあまりにお粗末でした。キャッチャー出身でありながらキャッチングも非常に雑で、守備範囲も40過ぎの大ベテラン選手より狭いのでは?と感じさせるほどでした。

 もちろん野手転向早々でプロレベルの守備がすぐにこなせるようになるとは僕も考えていませんが、野手転向から2年3年と月日が経った後も、課題の守備力はなかなか向上する様子が見られませんでした。同期入団で3年目に投手から野手へ転向した北篤選手がメキメキと守備力を向上させていったのと比べると、その違いは明らかでした。

 高森選手は入団3年目の2009年にファームで打率3割をマークする等、打撃面で著しい成長を遂げました。普段ファームにあまり関心の無いよう人でさえも高森選手の成長ぶりに歓喜し、一刻も早い1軍昇格をと願うようになりました。しかしながら、あれだけの打棒を見せつけながら、1軍にはシーズン最終盤の消化試合に呼ばれて2試合出場しただけで終わってしまいました。

 そこではプロ入り初ヒットもマークしましたが、ファームであれだけ大活躍したのだからもう少しチャンスを与えても良かったのではと、ファーム好きの間からも不満の声が少なからず聞こえてきました。

 ただ、ファームであれだけ打ってもほとんど1軍で使って貰えなかった最大の理由が、恐らくは彼の守備力にあったのではと見ています。打撃はあれだけ成長したものの、守備はファーストしか守れず、それも到底プロレベルとは呼べないシロモノで、これでは守らせる場所がないと判断されても無理はありませんでした。

 これがせめて外野を狭い守備範囲ながらソツなく守れるくらいの守備力があれば、もう少しチャンスをもらえただろうと僕は思いました。

 やがてターニングポイントとなるプロ入り4年目が訪れます。高森選手と同じ左打ちの長距離砲として筒香選手が鳴り物入りで入団してきたのです。

 この年のシーレックス打線は3番北4番筒香5番高森という他球団ファンも羨む強力打線を誇り、3番を打つ北選手が打率.320で14本塁打、4番を打つ筒香選手が打率.289で26本塁打と、それはそれは素晴らしい成績を残しました。しかし昨年まで右肩上がりで成績を伸ばし続けてきた高森選手はと言えば、打率.246で6本塁打と、唯一のセールスポイントである打撃でアピールするどころか一気に数字を落としてしまったのです。

 この突然の変調には僕達ファンも戸惑いを隠せませんでした。これまでシーレックスの主砲として、彼こそが将来のベイスターズを背負って立つ存在だと誰もが夢見ていた高森選手が、高卒1年目の筒香選手にも、野手転向2年目の北選手にも大きく水を開けられてしまったのです。筒香北両選手の躍進に目を細める一方で、何かが終わってしまったと、それを痛切に感じさせられたのを今でもハッキリ記憶しています。

 やはりと言いましょうか、そこから長きに渡るスランプが始まってしまいました。入団5年目の2011年オフは戦力外の覚悟をしたほどです。技術的なものなのか、はたまた精神的なものなのか。ただスタンドから見ているだけの僕には状況をうかがい知ることは出来ませんでした。それは精神的なものが主であったと、今回の東洋経済の記事でようやく理解できたという次第です。

 プロ入り6年目の2012年、この年は登録名を「高森勇気」から「高森勇旗」に1文字変更しました。1軍定着のキッカケを掴めない2軍選手が登録名を変更するのは、ミツル選手(田中充)や北川隼行選手(北川利之)など今まで何度も見てきました。前例が前例なだけに、正直言って嫌な予感しかしませんでした。

 恐らく初めてとなるサードの守備にも挑戦しました。率直に言って遅すぎました。なぜもっと早く守備の課題に正面からぶつからなかったのだと、悔しささえ覚えました。しかし、土俵際に追い込まれた選手がサードに挑戦するのも、河野選手他で見てきたことです。だからこちらも嫌な予感しかしませんでした。

 スランプに陥っていた打撃で復調の兆しが見えたものの、この年のオフに戦力外通告を受けて、いよいよベイスターズを去る時が来ました。トライアウトに活路を見出したものの、獲得に名乗りを上げる球団は現れず、いよいよ現役生活にピリオドが打たれました。

 高森選手が真価を発揮しつつあるのがユニフォームを脱いだ後だったというのが複雑な気もしますが、今回の東洋経済の記事であるとか、はたまたTBSテレビ「S1」への出演であるとか、1軍で2試合しか出場機会を得られなかった選手とは思えないメディア露出ぶりを、ただただ嬉しく、今後の一層の活躍をお祈りしています。

 「タレント」とか「スポーツジャーナリスト」とか、既存の枠組みではいまいち捉えきれないような、高森選手らしい独特な進化の過程をこれからも楽しませ続けて欲しいと思います。