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ベイスターズを二軍中心に見守るブログ 本店

毎年20~30試合ほどベイスターズ二軍の試合に足を運ぶ我慢強い男のブログ。野球関連の問題提起や将来へ向けた改革提案等も

思い出の二軍選手 ~新沼慎二~

思い出系

 2週間ほど前に書いた北川利之選手の記事のアクセス数が思いのほか伸びまして、意外とこういう話題を気に入ってくださる方が多いのだなと気付きました。そんなにたくさんの引き出しはありませんが、今回は僕が個人的にミスターシーレックスだと考えている新沼慎二選手(現コーチ)について書きたいと思います。

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 僕が横須賀スタジアムに足を運ぶようになった2003年頃、ベイスターズファームチームである湘南シーレックスの正捕手として君臨していたのが新沼慎二選手でした。

 まだそれほどファーム観戦に慣れていない頃の僕でしたが、そんな僕から見ても、なんでこんないい選手がファームでくすぶっているのだろうかと不思議に思うくらい、走攻守にバランスの良い働きをしていたのが新沼選手でした。

 ただ、時期が悪かったのだと思います。

 当時の1軍には阪急-オリックスで正捕手を務めていた中嶋聡選手や中日で正捕手を務めていた中村武志選手がいて、そこに売り出し中の相川選手がいて、更にその下に鶴岡一成選手がいる、とんでもなく高いハードルが次々とそびえ立っていたのです。ちょうど今のソフトバンクホークスの捕手陣みたいな顔触れといえばわかりやすいかもしれません。いくらファームで良い成績を残しても1軍に上がれないのは、これなら無理もないと、それは僕にも理解出来ました。

 たまに1軍に上がればいきなり一線級のピッチャーからホームランを打ったりして、それなりに存在感を示しつつありました。

 しかし、野球選手には旬があります。旬の盛りに1軍で起用してくれればいいですが、それを過ぎてしまうとなかなかうまくはいきません。やがて後から入団してきた武山選手(現中日)や斉藤俊雄選手(現オリックス)がファームの試合に優先して起用されるようになり、新沼選手がマスクをかぶる機会がめっきり少なくなってしまいました。

 確か2006年とか2007年くらいの頃はマスクをかぶる機会の少ない捕手が野手として試合に出場することが多かったという記憶があります。現在はベイスターズで球団職員を務めている西崎選手もその1人で彼は主に外野を、新沼選手はDHかファースト、まれにサードでスタメン出場する事もありました。打力はファームでも屈指の実力者でしたので4番を打つことも珍しくありませんでした。

 これくらいの時期には、新沼選手が河野選手のブログで一緒に行動する様子をよく目にするようになりました。文面から判断するに、周囲の人から愛される、優しい人物なのだろうなというのが伺えました。友達に付き合って横須賀スタジアムの試合後に出待ちをしていると、新沼選手と下園選手の2人はいつも気さくにファンに応えていましたので、河野選手のブログから伺える印象がそのまま、彼の人柄を表しているのだというのがわかりました。

 ただ、その頃1軍でレギュラーを争っていた相川選手や鶴岡選手らと比べると、どうにもそのあたりに物足らなさを感じたものでした。僕はファン対応よりもグラウンド上の結果を重視するタイプのファンですが、そういう僕からすると、その優しさがかえって仇になっているように見えました。

 やがてシーレックスの正捕手争いに黒羽根選手も加わるようになると新沼選手がマスクをかぶる機会は皆無になり、試合終盤になると河野選手や田中充選手と共に代打攻勢の一コマとして出番を得る、そういう存在にまで追い込まれてしまいました。これだけ捕手勢の厚みが増してしまうと、新沼選手は戦力外になってしまうかもしれない。そういう危機感が日に日に高まってきました。

 しかし、転機が訪れました。地道に取り組んできた新沼選手に野球の神様は蜘蛛の糸を垂らしてくださいました。チームは2008年のシーズン途中にあろうことか第二捕手の鶴岡選手を巨人に放出してしまい、その年のオフには正捕手の相川選手まで出て行ってしまいました。チームはそれを補うべく野口選手や橋本選手を矢継ぎ早にFA補強したものの正捕手の座は固定されず、その混乱の中でついに新沼選手にもチャンスが訪れました。

 記念すべき1998年にプロ生活をスタートさせた新沼選手は、ついに11年目の2009年に満を持してベイスターズのユニフォームに袖を通し、ベイスターズのマスクをかぶり続けました。その前の年までファームですら満足に出番を得られなかった新沼選手は急転直下で1軍昇格を果たし、細山田選手との併用状態から、ついには正捕手の座を掴んだかに見えました。

 これまでシーレックスで地べたを這うようなプロ生活を送ってきた新沼選手が、ついにベイスターズで正捕手になったと、我が事のように嬉しく思いましたし、新沼選手からレギュラーを奪わんとする細山田選手が敵に見えてしまうほど新沼選手に肩入れして応援してしまう自分がいました。

 しかし、この夢の様な日々は長くは続きませんでした。同じくシーレックスから這い上がってきた北川選手がシーレックスに連れ戻されたのとは違い、新沼選手は正捕手の座を掴もうというその時期に、中日のブランコ選手に突撃されて大怪我を負ってしまったのでした。この時ほどブランコ選手を憎いと思った事はありませんでした。藁人形でも用意してやろうかと思ったほどでした。

 ただ、大怪我を負った新沼選手のその後は、それまでシーレックスで見てきた表情とは違うものを感じました。これまでの優しいお兄さんから、戦う男の表情になっていました。残念ながら怪我を負ってしまったものの、戦い中の名誉の負傷としてどこか誇らしげな印象さえ受けたものでした。それを見て、「そろそろ戦力外だろうか」という不安な気持ちが払拭され、復帰を楽しみに思えるようになりました。

 やがて新沼選手はあれよあれよというまに大出世を果たしました。

 なんと2011年には選手会長にまで就任してしまったのです。つい数年前までファームの試合にも出られなかった新沼選手が選手会長とは、隔世の感と言いましょうか、感慨深いと言いましょうか。こういうパターンもあるのだなぁとしみじみ思いました。

 その年の3月は皆さんもご存知のように東日本大震災が起こり、被災地出身の新沼選手がテレビで何度も取り上げられました。確か漁師をされている祖父と連絡が取れないと涙ながらに語る新沼選手の姿がテレビで取り上げられました。これまでテレビで取り上げられることなどあり得なかった新沼選手が、まさかこんな形でクローズアップされる事になろうとは、思ってもみませんでした。

 幸い新沼選手のご家族とはその後連絡がとれて無事が確認できたという事で胸を撫で下ろしましたが、ただ、あれだけ多くの方々がお亡くなりになり、また行方がわからないままとなり、この未曾有の災害に直面する日本プロ野球界において新沼選手は東北楽天の嶋選手と並び、ある意味で球界の象徴的な存在になりました。これは決して良い事ではないですが、あの新沼選手が立派に先頭に立ってチームや球界を引っ張っているのだというのが、僕には誇らしく感じられました。

 しかし、この年が新沼選手のプロ生活のハイライトになってしまいました。打撃面では持ち前の実力を発揮できたものの、守備面では物足らない数字しか残せませんでした。見ていて思うこととしては、捕手として脂が乗ってくる時期に殆ど試合でマスクを被っていなかった影響がかなり出ている気がしました。ピッチャーから投球を受けて、それを送球してランナーを刺すという一連の動きは、試合でしか磨けない部分も少なく無いと思いますが、ここの部分で数年間のブランクがあったことが、肩の力が衰えてなおさら目立ってしまったのかなと、そういう風に感じました。

 そんなこんなで2012年を最後に引退しました。引退試合中畑清監督が発した「大した選手じゃなかったが」という言葉には、それは中畑監督なりの冗談が多分に含まれているのでしょうけれども、僕は腹が立って仕方ありませんでした。表に出て働くのが選手の本分ですが、縁の下の力持ちとしてこれだけ長きにわたって頑張ってきた功労者の晴れの舞台に、そういう冗談を言うものではないと、心底腹がたちました。僕の中畑監督嫌いが加速する一因にもなりました。

 さて、新沼選手がプロ生活をスタートさせたのが1998年で、湘南シーレックスというチーム名が出来たのが2000年の事でした。そして湘南シーレックスが解消されたのが2010年で、新沼選手が活躍の場を1軍に移したのが2009~2010年頃でしたので、したがって新沼選手は湘南シーレックスの生き字引みたいな人であります。

 この期間にフルで在籍し、毎年シーレックスのユニフォームに袖を通し続けた選手は恐らく新沼選手ただ1人ですので、だから僕は新沼選手をミスターシーレックスであると認定しております。

 たった10年しか続かなかった二軍のチーム名ではありますけど、僕達には大切な思い出の一幕でもありますので、その代表格として新沼選手の事をいつまでも忘れないでいるだろうなと、そのように考えています。ああいう優しい性格の持ち主は選手の良き相談役として頼りにされると思いますので、これからもコーチとしてベイスターズを支え続けてくれたらいいなと願っております。

以上