ベイスターズを二軍中心に見守るブログ 本店

毎年20~30試合ほどベイスターズ二軍の試合に足を運ぶ我慢強い男のブログ。野球関連の問題提起や将来へ向けた改革提案等も

思い出の二軍選手 ~北川利之~

 とりたてて書くことが浮かばないものですから、今は既に引退してしまった主に二軍でプレーした選手の思い出を書いていこうと思います。ネタが尽きて困ったら第二弾、といった塩梅でこのカードを使おうと思います。最初にテーマとして取り上げるのは北川利之選手についてです。

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 2002年のドラフト会議で6位で指名されて入団したのが北川利之選手です。同期は現巨人の村田修一選手や現ソフトバンク吉村裕基選手、それに現在日ハムコーチの加藤武治さんも入団した、錚々たるメンバーの一人として名前を連ねています。

 北川選手のデビュー年である2003年は、僕が湘南シーレックスの試合を見に横須賀スタジアムに足を運ぶようになった最初の年でもあるのですが、そこで非常に柔らかく確実性の高いバッティングをしていた北川選手を見て、彼こそがこれからベイスターズのセカンドを長年守り続けるようになるだろうと確信したのが、そもそもの始まりでした。

 しかしながら、僕の見立ては思うようにいかず、北川選手がベイスターズのユニフォームを着てプレーするのは年に数回あるかないかという時期が続きました。シーレックスでは毎年コンスタントに高打率をマークし守備でも安定した実力を発揮できていたのですが、野中選手や木村昇吾選手といった走力に勝る選手が優先的に起用される場合が多かったと記憶しています。野中選手木村選手藤田選手といったあたりが1軍で低打率にあえいでいる頃は、まるで自分の事のように「なぜ北川を使わないのだ!」と憤る毎日でした。

 たまに1軍に呼ばれてスタメンで起用されれば、相手ピッチャーが絶好調の松坂大輔投手でベイスターズ打線みんなで封じられる事になったりして、運もありませんでした。

 やがて強力な壁が立ちはだかるようになりました。まずは種田選手です。がに股打法で再ブレイクした種田選手がセカンドのレギュラーとして定着したため、つけいる隙が全く見いだせないようになってしまいました。しばらくして種田選手に衰えが見えてくるようになると、今度は仁志選手が巨人からやってきてセカンドのレギュラーを奪っていきました。

 そうしているうちに、シーレックスのレギュラーすらも危うくなってきました。石川選手や藤田選手や梶谷選手が二遊間で中心的に起用されるようになり、トライアウトで採用された斉藤秀光選手の出番も増えてきました。北川選手としのぎを削ってきた木村昇吾選手はトレードで放出され、北川選手は主に代打、たまに三塁のスタメンで出番があるかどうか、非常に危うい立場に立たされてしまいました。

 しかしながら、野球の神様は見捨ててはいなかったようで、ついに待ちに待った1軍レギュラーへの道が開けようかという日々がやってきました。それは2009年。ベテラン仁志選手が衰えを隠し切れないようになって自ら退団を申し出るようになり、契約3年目で崖っぷちに立たされた大矢監督が思い切った選手起用に舵を切ったことで、いよいよ北川選手が1軍に呼ばれ、昇格初日の巨人戦でいきなりのスタメン起用と相成りました。

 その日は昼頃に桑原義行選手がブログで北川選手の昇格を知らせてくれた事で、僕はそれまで手がけていた仕事を全てストップして急遽横浜スタジアムに駆けつけることにしました。いつもなら内野B指定くらいのチケットを買う所を、この日はお祝いとばかりに大奮発してSS指定で非常に良い眺望から北川選手の勇姿を拝めるようになりました。

 試合前の練習では、着慣れないベイスターズのユニフォームを着た北川選手が他の選手に冷やかされながらとても嬉しそうに練習に取り組んでいるのが伺えました。我が事のように僕も嬉しくなりました。

 やがてスタメン発表がもう間もなく!といった所で僕の携帯に一通のメールが届きました。どうやら球場よりもヤフープロ野球の方が先にスタメンを表示しているらしく、そこに北川選手の名前があるとわかった友人が「スタメンおめでとう!」とメールを送ってよこしたのです。せっかくハマスタで感動の瞬間を迎えようかという直前になって興ざめも甚だしいとは思いましたが、それはともかく、数年前の交流戦の西武戦以来となる1軍のスタメンとあって僕のテンションも爆上げになりました。

 試合は良い意味でも悪い意味でもドラマチックに終わりました。北川選手は第一打席からヒットを放つも、守備でセカンド後方に上がったフライで一塁のジョンソン選手と呼吸が合わずにエラーしてしまいました。そうして迎えた試合終盤の打席で、持ち前の粘りで相手投手に何球も放らせて、やっとの思いで渋いヒットを放って出塁し、決勝のホームを踏みました。

 試合後は第二ヒーローインタビューに呼ばれた北川選手が、MCのケチャップさんにあれこれ聞かれているのにどうにも緊張してしまってうまく喋れず、しかしまぁなんとかかんとか第二ヒーローとして1軍の喜びを甘受するに至りました。

 そこから十数試合、北川選手はほぼレギュラーとして試合に出続けました。始めの頃は僕も何度も球場に行きましたが、やがて北川選手がレギュラーとして試合に出るのが当たり前のような感覚になり、交流戦でロッテの大嶺投手から打ったプロ入り初ホームランもテレビ越しの観戦となりました。当時は、これが永遠に続くかのように考えていましたし、非常に残念な事に、北川選手のプレーに慢心のようなものが見え隠れするようになってしまいました。

 その間、ベイスターズの監督は大矢監督が休養してしまった事を受けてシーレックス監督の田代富雄さんが1軍の指揮をとることになりました。長年北川選手の指導にあたって北川選手の持ち味も理解している田代さんの代行就任は北川選手にとっても追い風になるだろうと思っていました。

 しかし、田代代行は意外にも手厳しい判断をしました。北川選手を再びシーレックスに送り返してしまったのです。1軍の選手層などを踏まえてもまたすぐに戻ってこられるだろうと思っていましたが、次に1軍に戻って来られたのは消化試合の最後の方になってから、それもスタメン起用は最後までありませんでした。

 この時は、まさかこれが最後の1軍になるとは思ってもみませんでした。確か消化試合神宮球場の試合で代打で起用され即センター前ヒットを放って代走の野中選手に交代し、その野中選手が盗塁で刺されて終わった、あれが1軍での最後のヒットだったのではないかと思います。

 その翌年が北川選手にとっての現役最終年になりました。まだ1軍のセカンドレギュラーがしっかり固まったとは言えない状況でしたが、しかし北川選手自身もファームでそれほど良い成績を残せておらず、アピールもままなりませんでした。二遊間を守れる選手の故障が相次いでルーキー年以来となるショートの守備に就いた事もありましたが、それも1軍昇格への取っ掛かりにはならずじまいでした。

 イースタンのシーズンも終盤に差し掛かった頃の平塚球場でのロッテ戦では代打で起用されて因縁の大嶺投手との再戦が叶ったのですが、そこで、これまでなら充分スタンドインできていたであろう放物線が右中間に飛んだものの、打球はフェンス前でお辞儀してライトフライになってしまいました。この時「もうダメかな…」という雰囲気がありました。

 プロ野球選手が所属球団から正式な戦力外通告を受けるのは10月1日の解禁日からですが、ファームの公式日程はそれよりも数週間早く閉幕します。つまりファームの最終戦が行われる頃は、建前上では選手はまだ戦力外になるかどうかわからない筈なのですが、1軍に呼ばれる可能性のない選手については、もう既に何らかの内示を受けて、最終戦は引退試合のような形で、特に大怪我をしていない選手の多くがここで最後の出場を果たします。

 北川選手も2010年のホーム最終戦に家族を呼び、そして最後の試合出場を果たしました。試合後はまだ小さなお子さんをグラウンドに連れてきて、最後のグラウンドの感触を名残惜しそうに確かめていました。北川選手の奥様は1塁側の観客席で「これまで主人を応援して下さりありがとうございました」と深々と頭を下げられたそうです。

 10月1日に正式に戦力外通告を受けてから、北川選手はトライアウトに向けて再始動しました。

 第1回目のトライアウトは秋の深まった西武ドーム。僕も友達と一緒に西武ドームに駆けつけて北川選手の大復活に向けて応援を送りました。しかしながら、戦力外通告を受けて以降、ピッチャーの生きた球を打てない練習環境はいかんともしがたく、打席ではヒットを1本打つので精一杯でした。

 同じくトライアウトに参加した中ではロッテの堀幸一選手もいて、堀選手は全選手で唯一となるホームランを打ったり守備でもハツラツとしたプレーを見せつけていたのですが、その堀選手ですら手を上げる球団は現れず、北川選手もここにきてついに、本当の意味で野球人生に終止符を打つ決意を固められたのではないでしょうか。

 その翌年、北川選手の姿は横浜スタジアムにありました。ただし、これまで身にまとっていたユニフォーム姿ではなく、どこにでもいるようなスーツ姿の球団職員として、片手にビジネスバッグを持ってどこかへ出掛けたり、または試合前のシーズンシート出入口や各種優待チケットの窓口で来場者の対応にあたる北川選手あらため北川職員でした。ユニフォームを脱いだ選手がスーツ姿になるのは珍しいことではありませんが、これまで見てきた中でこれほどスーツ姿がしっくりくる人は初めてです。横浜スタジアムすぐそばの市役所に彼の姿があったら、横浜市の職員だといっても充分通じるくらいの、見るからに勤め人っぽい人だと改めて感じさせられました。

 現役時代から人当たりの良さみたいなものが評価されていたと言いますので、選手としては成し得なかったチームへの貢献を、違った形ではありますけど、この先何十年と続けていってくれたらなとお祈りしております。

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 全くの余談ですが、今年から入団した加藤政義選手の背格好といい打撃フォームといい打席に入る際のルーティーンといい守備位置といい、何から何まで北川選手と非常によく似ているなぁと思っている所です。まぁだからといって北川選手の分身として応援しようみたいな考えにはなりませんが、加藤選手はまだ若いですから、もっともっと上を目指して行って欲しいものだなと思います。

以上